『裁判員になるってそういうことだったのか!』番外編

可視化へのステップ

 裁判員制度の実施に関連して、「足利事件」をきっかけに取り調べの全面可視化を求める声がますます高まっています。やってもいない犯罪の「自白」に至る過程は、取調官による、拷問ともいえる肉体的苦痛も加えながらの巧妙な駆け引きに、取り調べられる人が絡め取られてゆく非常に複雑な現象なのでしょう。もちろん、そのような強引で人権無視の取り調べを根絶する努力を続けなければなりませんが、いっぽうで脳科学も動員した心理学的解明も必要ではないでしょうか。人間はいかにして虚偽の自白をしてしまうのかについての知見が少しでも得られれば、裁判員や裁判官、弁護人が「自白」の信用性を検証する強力なツールになるでしょうし、また、いつ立たされるかもわからない「被疑者」という立場における際の備えにも役立つはずです。

■最高検察庁の取り組み

A.最高検察庁裁判員公判部の設置

 最高検察庁は平成20年7月1日、《裁判員裁判における捜査・公判遂行活動等について各庁を指導する必要があることなどにかんがみ,裁判員制度の円滑な実施に向けて万全の体制で臨むことができるよう「裁判員公判部」》を設置し、裁判員裁判において《検察官が,分かりやすく,迅速で的確な主張・立証活動を行うよう,その基本方針を策定》した。そして「裁判員裁判の下における捜査・公判活動や態勢整備の在り方全般について,基本的な方向性を見いだすことができた」として《裁判員裁判における検察の基本方針》という文書を策定した。

 この「基本方針」について、次長検事が次のようにコメントしている。

(略)検察としては,この「基本方針」を踏まえつつ,裁判員裁判の下において,綿密・適正な捜査と分かりやすく,迅速で,しかも事案の本質を浮き彫りにする的確な立証を行って適正・妥当な裁判を実現し,裁判員制度が円滑に運営され実務に定着するよう,全力を尽くす所存であります。

 また,制度の実施後には,新たな運用上の課題が生じることも十分予想されますが,裁判所,弁護士会等の関係諸機関と一層の連携を図ることによって解決してまいりたいと考えておりますので,皆様方の御理解と御協力をお願いいたします。

 文書全体はA4判用紙92ページという大部なもので(http://www.kensatsu.go.jp/saiban_in/kihonhoshin.pdf)、ここには掲載できないが、「裁判員制度における検察の基本方針概略図」が作成されているので掲出する。

 検察も、参加した裁判員が“素人”だという負い目や疎外感を抱くことなく、誇りをもって判断を下すことができるよう、さまざまな工夫をこらしていることが見て取れる。なかでも、「証拠開示には誠実・適切に対応」、録音・録画DVD、ビジュアル化、プレゼン形式などは裁判員裁判の対象となる事件には欠かせないものだろう。

 ただ、女性殺害事件の審理の際、法廷の大型ディスプレイに遺体の肉片写真や、切断の経過をマネキンで示した画像を映し出した(『日経新聞』2009年3月9日付朝刊参照)検察の手法に批判もあったことから、「過剰立証」は避ける方針を示している。上図でいえば、「③的確な立証」の第3項目に当たるだろう。

 殺人事件や傷害致死事件などの死因の立証には、3D(立体)画像を用いる試みもなされている。

 遺体の内部をコンピューター断層撮影(CT)装置でスキャンし、たとえば傷の画像と、そこに刺さった刃物の画像を組み合わせて立体的に傷口の深さや幅、角度などを再現する手法の導入が試みられている。これは「生」の遺体写真より、外からは見えなかった出血などを確認したり、死因を新たに特定するなど、具体的な情報をもたらすことができる。

 一方、人体内部をコンピューター画像(CG)にした米国製ソフトを利用し、解剖でわかった傷のようすや凶器を描き込んで作成する技法も開発されている。CGは、必要な部位だけ見せて他を省くことができ、生々しさがないという利点もある。アピールしたい部分に色を付けて見せることも可能だ。動画にもできるという。(『朝日新聞』2009年3月4日ウェブ版参照)

 もちろん生の写真の現実感には勝てないだろうが、「見て分かる」立証に有効なツールとなるかもしれない。

B.取調べの録音・録画の試行

 最高検察庁は「裁判員裁判において,検察官が,被告人の自白調書の任意性について,裁判員に分かりやすく,迅速で,しかも的確に立証するための具体的な方策を検討するため」(『取調べの録音・録画の試行についての検証結果:最高検察庁』より。以下、引用同じ)、「平成20年4月からは,裁判員裁判対象事件について,原則として,録音・録画を実施することとし,同年12月末までに1,500件を超える事件で録音・録画を行」った(「本格試行」)。

 その検証結果を次のようにまとめている。

○DVDは,自白の任意性等に関する審理の迅速化に資すると考えられる上,立証上の有用性を認めた裁判例が蓄積されていることなどから,自白の任意性等を刑事裁判になじみの薄い裁判員にも分かりやすく,かつ効果的・効率的に立証するために有用である

○他方において,録音・録画を拒否した被疑者や録音・録画時に供述内容を後退させ,又は否認に転じるなどさせた被疑者も相当程度存在したことなどから,録音・録画が取調べの真相解明機能に影響を及ぼす場合があることが明確となり,録音・録画の実施方法については,真相解明の観点から十分な慎重さを要するものであることを再認識した

 一般人として、前半については納得するものの、後半については具体的な事案を想像することが難しい。そこで、平成21年2月に公表された同庁の『取調べの録音・録画の試行についての検証結果』を少し見てみよう。

(1)罪種別の録音・録画実施件数及び割合

 捜査段階で録音・録画の対象となり得る事件は1,676件だったが、実施したのは1,512件、しなかったのは164件だった。

(2)録音・録画を実施しなかった事件の概要

 録音・録画を実施しなかった理由は、表3のように分けられている。

【表3】録音・録画を実施しなかった事件の理由別内訳
実施しなかった理由 件数
被疑者が録音・録画を拒否した 98(60%)
組織犯罪等、録音・録画を行うことにより、取調べの真相解明機能が害されたり、関係者の保護や協力確保に支障が生じるおそれ等があった。 28(17%)
外国人事件で通訳人の協力が得られない場合、録音・録画を実施することが時間的又は物理的に困難である場合等、録音・録画の実施に障害があった。 38(23%)

 以下、具体的な例を見ていこう。

 ①被疑者が録音・録画を拒否した

 平成18年8月から19年12月末までの録音・録画では被疑者の拒否割合は1%であったが、原則としてすべての裁判員裁判対象事件を実施の対象とした「本格試行」に移行してからは6%となった。拒否の理由は表6のとおりである。

 それぞれの具体的な理由は次のような例があげられている。

  a.他人に見られたくない
*自分の姿を妻子や知人、第三者に法廷で見られたくない(裁判官や検察官はいいという場合もある)
*録画されたDVDが後世まで残るのが嫌だ
*録音・録画データが流出しない保証がない
b.事実を供述
*正直に話しているので録音・録画の必要はない
*信用されていないようで不満だ
c.報復を恐れる
*自白したことを(暴力団などの)関係者が知れば自分や家族に報復がある。顔を覚えられればなおさら心配
*取り調べで特定の暴力団の名前を供述しており、将来、今の街に住めなくなる恐れがある
d.緊張する
*緊張症やあがり症、恐怖症など、や取り調べにおいて十分な供述ができなくなる心理的不安など
e.弁護人からの指導
*取り調べのすべてを録音・録画するのでなければ意味がない
*弁護人と相談できていないので応じられない
f.不明
*映りたくない、実験台になりたくないなどと、強い拒否の意思表明

②組織犯罪等

  a.暴力団員らによる薬物密輸事件において、被疑者は、大部屋の取調室においても、自己が供述したことが周辺の者に知られることを気にして小声で供述するなどしていたところ、録音、録画を実施すれば、組織からの報復をおそれ、その後の供述を一切拒み、あるいは少なくとも共犯者や組織的背景に関ずる供述を拒むなど、事案の全容の解明に必要な供述が得られなくなるおそれがあった

  b.暴力団の組長の関与があったと思われる組織的強盗事件において、被疑者は、自己の関与は認めるものの組長の関与についてはあいまいな供述をしていたところ、録音・録画を実施すれば、その後の取調べにおいて、組長の関与については―切供述しなくなったり、少なくとも犯行の絶織的背景等に関する供述を後退させるおそれがあった

  c.外国人組織による組織的薬物密売事件におぃて、被疑者は、組織の首謀者や構成員等につぃて供述してぃたが、海外に居住ずる家族に対する組織からの報復のおそれについて具体的に話しており、録音・録がを実施すれば、それ以上の組織的背景に関する供述が得られなくなるとともに、当該組織の関係者等からも供述が得られなくなり、その後の密売絶織に関する突き上げ捜査が困難になるおそれがあったなど。

③外国人事件

  a.外国人のための日常的な翻訳の仕事もしており、被疑者と顔を合わせる可能性もあり、憎まれたくない
b.少数言語の通訳人であり、日程確保が困難

 その他、被疑者の健康状態や精神状態が不安定で実施することが困難と判断された、録音・録画を行う時間的余裕がなかった、録音・録画機器の不備等のため実施できなかった、などがあった。

(3)録音・録画を実施した事件における供述内容の変化

①供述内容が変化した件数および割合

 被疑者が、録音・録画自体は拒否しなかったものの、録音・録画時に供述内容が変化件数および割合を見ると、本格試行に係る録音・録画の実施件数1,512件中86件(6%)。

②供述内容が変化の内訳
a.否認(犯人性、犯意等を含む。)に転じた(3件)
b.供述が後退(一部を含む。)した(45件)
c.供述があいまいになった(21件)
d.その他(17件)

   a.殺人事件で、被害者2名に対する殺意を認めていたが、録音・録画時に、うち1名について殺意はなかったと変化した、など。

   b.傷害致死事件の暴行の回数・程度等が変わった、など。

   c.共犯の強盗致傷事件で、事前共謀の内容や犯行場所における脅迫文言等を具体的に供述していたが、録音・録画においては、誰が言ったか分からない旨のあいまいなものになった、など。
(以上、最高検察庁ホームページより)

 このような検証を踏まえて最高検察庁は、取調べの録音・録画に関する「今後の方針」を次のようにまとめている。

 検察官は,裁判員裁判において,自白の任意性に関し,裁判員にも分かりやすく,効果的・効率的な立証を遂げ立証責任を果たすため,裁判員裁判対象事件に関し,検察官の判断と責任において,取調べの機能を損なわない範囲内で,検察官による被疑者の取調べのうち相当と認められる部分の録音・録画を行うこととすべきである

 その具体的な方法等については,基本的に本格試行におけるのと同様とするのが相当であるが,裁判員裁判の実施後も,裁判員にとって分かりやすく,効果的,効率的な立証となっているかを検証しつつ,必要な改良を加えていくものとする

 ご承知のように、あらゆる事件について、捜査段階からすべての録音・録画、あるいは取り調べの一部始終を録音・録画することを求める意見がある(日本弁護士連合会)。前者については物理的にほぼ不可能であろうが、後者については「イギリスやアメリカのかなりの州のほか、オーストラリア、韓国、香港、台湾、モンゴルなどでも、取調べの録画や録音を義務付ける改革が既に行われて」(日弁連サイトより)おり、日本でも技術的には可能なはずである。取り調べは、弁護士の立ち会いもない密室で行われるので、「裁判が長期化した事例や違法・不当な取調べによる冤罪事例が多く発生」(日弁連サイトより)しているという。

 そこで日弁連は「裁判員裁判対象事件・少年事件などにおいて取調べの可視化(取調べの全過程の録画)を試験的に実施し、その実施によって問題が生じるか否か、問題が生じた場合の対策について検証することを提案」していた(る)のだが、それに対して最高検察庁は「被疑者の取調べのうち相当と認められる部分の録音・録画を行」ったのである。

 たしかに「一部録音・録画」がはらむ問題も大きいが、最高検の検証結果を見ると、録音・録画を望まない、あるいはしないほうがいい事件もあるのだと納得させられる。とすれば、すべての事件において、被疑者に対して「取調べの全過程の録音・録画を望む」か「望まない」かを尋ねる録音・録画を行い、「望まない」場合には弁護人がDVDを確認するという方法はいかがなものだろう? 

 また、最高検察庁は「相当と認められる部分」について基準を明確にし、公判段階において「言った/言わない」の水掛け論をなくすためにも、「捜査側に都合の良い部分だけが録画・録音されかねない」(日弁連)という懸念を払拭し、「裁判員にとって分かりやすく,効果的,効率的な立証」にするために、望む被疑者の「取調べの全過程の録音・録画」を実現する方向へと「改良を加えて」いっていただきたいものである。供述内容が変化しても、その過程も記録されるのだから、素人考えでは問題はないように思われるが……。