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竹のこと通信⑥-若き竹職人ー 文: もぎ ちえこ 作者にメールを送ります
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 二月の下旬、友人と府中市郷土の森博物館に梅見に出かけました。ここは東京都の梅見スポットの第二位で、千百本の梅の木があるそうです。ちなみに第一位は高尾梅郷で一万本。
 日曜日で天気もよかったせいか、入場券売り場の前には行列ができていました。梅は八割方開花と、行列を整理する係員の方から説明がありました。
 さして待つことなく入場。入ってしまえば、園内は広く、ゆったりとくつろげる雰囲気です。
 野点の茶席のそばで、小さな案内板を見つけました。ふるさと体験館で竹細工の実演をしているとあります。午前中は十二時まで。まだ三十分以上あります。行ってみることにしました。
 府中市郷土の森博物館は「約十四ヘクタールの敷地に、府中の、歴史や風土、自然が紹介された本館、プラネタリウム、八棟の復元建造物、芝生広場、梅園、池などがあり、施設全域が博物館というフィールドミュージアム」だそうです。
 ふるさと体験館は、昔あそびや手作りのものを作ったり遊んだりできる場所ということで、その日もなにか作ってる様子でした。でも私たちのおめあては、竹細工の実演なので、そちらへ。見ると、若い男性が(二十代後半ぐらいか)ちょうど輪口編み(放射状に竹を組む編み方)をしているところでした。
 半割りされた青竹とはじに置かれたざるやかごを見て「青物」を作る人なのだとわかりました。輪口編みの材料も、二節分の長さの青竹です。
 山から伐りだした自然そのままの竹でかごを編む竹細工のことを「青竹」といって、油抜きをしたさらし竹や染色した竹を使う竹細工と区別します。昔ながらの竹の生活道具は「青物」と呼ばれ「青物」を編む職人は「青物師」 彼はその職人でした。
 何を作っているのか聞くと、こいのぼりのてっぺんにつける飾り玉だといいます。普通、見かけるこいのぼりのてっぺんは、金色の金属でできたものですが、昔は竹の飾りだまをそこに置いたそうです。注文があって作っているということで、取り付けた状態のものをスマホでみせてくれました。
 一緒に行った彼女は実家が竹屋で、しかも、お兄さんがその跡を継いで商売をしています。彼女はそこの娘だと名乗りました。
 するとその名前に思い当たったようです。見知った業者の名前が次々に出て、半信半疑だった彼の表情が変わりました。
 彼女が、日本の竹はもうだめで、今、商売で扱っているのは中国の竹ばかりだと言うと、彼も竹の調達の苦労を話します。竹林の持ち主に竹を伐らせてほしいと頼むと、まずは整備をしてくれと懇願されるそうです。それが大変でと笑っていました。
 どうして竹細工に興味をもったのか、彼女の質問はさらに続きます。はじめは自分もそちら側にいて、編んでいるのを見る方だったといいます。小さいころのことのようでした。
 そこからどんなふうに道が定まって、見られる側になったのか。弟子入りして修行した話もしてくれましたが、誰もがこうした場所で実演できるわけではありません。たくさんの出会いや経緯があったと想像できます。
 私たちが竹工芸をしていると知ると、自分はざるやかごといった生活道具に興味があるのだと言います。地域によって、ざるでもその形容が微妙に変わっているため、復元に取り組んでいるという話もしてくれました。茶道の花籠や伝統工芸品を作る人はいるけれど、生活道具としての竹細工に注目している人が、この地域にはいないので、ということです。
 その話に、水俣で青物の竹細工を生業としている人のサイトを思い出しました。水俣は昔からの道具が比較的残っている地域で、新しい注文だけではなく補修の仕事も多くあるそうです。そのさい師匠の作った道具にめぐりあうことがあり、その頑丈さとていねいな仕事ぶりに驚かされるということでした。
 民俗学者の宮本常一が中心になって、竹の民具を収集していたことも思い出しました。そのざるや籠は、今、どうなっているのでしょう。民俗学博物館の倉庫で、眠ったままなのかもしれません。
 宮本常一が関わっていた「あるくみるきく」という雑誌で、竹細工をたずねる、という特集があって、そこで地域による道具の差異について言及していました。ということは、できうるかぎり道具を網羅して、収集したはずです。でも、狭い地域での違いまで考慮したかどうか。
 その雑誌のあるページに、日本全国のコメアゲザルの写真が掲載されていて、こんなにも形容の違いがあるのかと驚いたものでした。コメアゲザルは、お米をといだあと、水を切るために昔はどの家庭でも使っていたものです。電気釜やガス釜が主になって家庭から姿を消しました。
 手入れの行き届いた鉈が二本。入ってすぐ目にとまりました。おじいさんが竹細工をする人で、道具が残っていたといいます。それもまた、竹細工をはじめる後押しになったようです。その鉈がそうなのかもしれません。
 あまり邪魔をしても悪いので、この辺で退散です。
 昼食を摂りながら、そして本来の目的である梅見の散策をしながら、その若い竹職人について、しばらく話が途切れませんでした。
 彼女はあんな若い子が竹細工を志してくれてうれしいと言います。竹屋に育って、小さいころからその生業を見てきた彼女の見聞は貴重です。日本の竹がだめになって(手入れが行き届かないため)、中国から輸入するようになったときは、お兄さんと一緒に現地に赴いたそうです。竹は建築資材として利用されていた時期もあったので、今はもうない職人の仕事を知っていたりします。家壁は昔は竹を編んだ上から漆喰を塗って・・・といった話を聞くと、そういえば見たことがある、と思い出します。
 午後からの部にもう一度、顔を出してみようということになりました。行ってみると、午前中、底組みだけだった飾り玉は、縁の始末を残して形になっていました。
 置いてあった半割りの青竹が、あまりにきれいなので質問すると、もみがらで汚れを落とすといった話になり、もみがらは私たちも油抜きのときに使っていると話が続いていきました。
 次回の講習や展示会のことなど聞き、名刺をもらってさすがに退却。名刺の住所を見て案外近くに住んでいることに驚きました。
 帰り際、展覧会や展示の予定があったら、教えてくださいと言われ、はいと返事をしましたが、ためらいがありました。三月にバスケタリージャパン2017展、四月に女流工芸展と続くのですが、全国竹芸展のような竹工芸だけの展覧会ではないので、足を運んでもらうのは申しわけない気がします。 
 所属する竹工芸会のメンバーは十数人ですが、目標も考え方もまちまちです。伝統工芸展や木竹展への出品をめざす者から生活道具としての竹作品に魅力を感じる人まで、幅が広いのです。バックを作りたいと入会してくる人もいますし、いつのまにか、親戚中に頼まれて作品を作っている人もいます。趣味なのだから、力まず楽しくという人もいます。
 私は竹という素材を使って造形することに魅力を感じます。展覧会の作品は、そのための挑戦です。デザインや技法を工夫し、自分なりの表現をしたいと欲張ります。
 加えて、竹をもう少し、インテリアとして生活空間に取り込めないかという思いがあり、その試みのひとつとして、一貫張りの作品も作っています。竹で編んだかごや壁掛けに和紙を張り、柿渋を塗って加飾します。加飾とは文字通り、そこに、布や色和紙を貼ったり絵を描くなどして飾りを加えることです。もっともその作業は、私より才能のある人の手を借りていますが。
 そうした自分の事情を、うまく説明できなくて、若い竹職人に真正面から見つめられると腰が引けてしまいました。でも邂逅を逃す手はありません。
 荒れた竹林を見ると、竹にはもう未来がないのか、と思いますが、気づかないところで、こうした若い竹職人が、地下水脈のように、育っているのかもしれない。期待を持ちました。
 気持ちが明るくなる出会いでしたが、彼にとっては、二人のおばさんにつかまって、災難な一日だったに違いありません。

03/06/2017


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