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ギョーダンノギシ(8) 文: 佐山 ゆうき 作者にメールを送ります
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           (第八回/全九回)

       (八)

 洋介が目をさますと、目の前にお父さんの顔がありました。お父さんは、顔をこちらに向けたままうつぶせになっています。間にしかれたお母さんのふとんは、もう、ぺちゃんこになっていました。洋介は、まぶたがその重さで下がっていくというふりをして、ゆっくりと目をとじました。
 暗くなったまぶたの内側で、洋介は考えをめぐらしました。次に目を開けたとき、お父さんに向かってどんな顔をしたらいいのか、なにを言ったらいいのか・・・。
 そっと目を開くと、お父さんの顔は、まだ目の前にありました。もしかしたらお父さんは、夜中じゅう、ずっとぼくのことを見ていたのかもしれない、と思いました。
 ごくんと一回つばを飲みこんで、お父さんの口が動きました。
「日曜日だな」
 お風呂場のほうから、洗濯機の音が、床をつたって洋介のおなかに響いてきました。ゴーという音のなかに、だれかがドアをノックするような音が混ざっています。きのうはいていた半ズボンのポケットに、石がまぎれこんでいたのかもしれません。
(きのうのことを、お母さんから聞いていないはずがないのに、お父さんはなぜ、なんでもないような顔をしているのだろう)
(ダイソレタコトヲ、シデカシタクセニ、洋介ノ、アノ、ノンキソウナ顔ハ、ナンナンダ)
「どうしたのよ二人とも、だまりこんで見つめ合っちゃって」
 洗濯物のカゴをかかえたお母さんが、部屋に入ってきました。
「どこかへ行くか」
 お父さんは起き上がって、洋介にたずねました。短い言葉のなかに、洋介といっしょに遊びたいという気持ちを、山盛り込めたつもりでした。
「うん」
 洋介もおきあがると、お父さんと遊びにいけるうれしさを込めてこたえました。
「それで決めたの? どこへ行くか」
「・・・」
「・・・」
「とりあえずドライブっていうことにしたら。おべんとうを作ってあげるから。海へ行くもよし、山へ行くもよし。走りながら決めたらいいじゃない」
「お母さんは行かないの?」
「お母さんはちょっと用事があるから。お父さんが洋介と遊びたいんですって。遊んであげて。お父さんと遊ぶのも楽しいかもしれないわよ」

 とりあえず走りだすということで、二人は家を出ました。よく晴れた日曜日。洋介は少し緊張してお父さんの横に座りました。車がすべりだすと、光をたくさんふくんだ風がサッと動きました。
「もどって!」
 それは、車が広い通りに出て、少し走ったときでした。
 お父さんは洋介の気持ちがぴんときたように思えました。
 なにをしゃべったらいいのかわからなかったので、お父さんはずっと口笛を吹いていました。それでは面白くないにちがいありません。
「行くのがいやになったのか?」
 お父さんはおそるおそるたずねました。
「ううん」
(ホッ)
「よってほしいところがあるんだけど」
「どこ?」
「神社」
(エ?)
 車が神社の前につくと、洋介は石段を駆け上がり、鳥居の向こう側に消えました。
 鳥居の上から突き出たイチョウの巨木。街の様子がすっかり変わっても、このイチョウだけは、本当に昔のままです。
 お父さんは待つあいだ、なんで神社になんかに、と思いながら、おととい見た夢のことを考えました。
 きのうは、自分の頭を仕事のほうにつれもどすのがたいへんでした。ほおっておくと、ついつい子どものころのことに思いがいってしまうのです。保育園の帰り、母親の運転する自転車の荷台に乗って坂道を下ると、その両側にびっしりと咲いていたタンポポ・・・。かくれんぼでもぐりこんだ路地の暗がりから、金切り声をあげて「ざまあみろ!」とさけんだ九官鳥・・・。なんでもない風景が、不思議なくらいはっきりと、あとからあとから浮かんでは消えていきました。洋介を待ってこうしているあいだも、ほほに日があたり、すこし汗をかくこの感じは、子どものころの、夏の日の思い出につながっていきます。
 鳥居の下で銀色の光がはじけ、洋介が石段をかけおりてきました。
 洋介はお父さんのほうは見ずに「ごめん」と言って、座席にすわりました。ひざには銀色の箱をかかえています。
「宝物か?」
 少年時代のことを思い出していたお父さんは、がらくたを入れた宝物の箱をすぐ思い浮かべました。そういえばおれも、ビンのかけらや、水道の蛇口なんかを、大切にしまいこんでいたっけ。
 洋介は口のはしっこで少し笑っただけでなにも答えません。
 車はふたたび走り出しました。お父さんは、今度はいっしょうけんめい洋介に話しかけました。洋介も話をするようにがんばりました。日曜日の朝のせいか、道はすいていて、信号で止まる以外はすいすい走ります。デパートのある街をぬけ、両側に木の植わった通りを行き、消防署の角を右に曲がり、線路の上にかかった橋をわたる。あとはまっすぐどこまでも行って、しばらくすると、高速道路の入口が見えてくる・・・。え? 高速道路? あ、しまった。いっけねぇー。
「洋介、どうしよう」
 高速道路の料金所が目の前にせまっています。
「山のほうでいいか? 川もあるけど」
「うん」
「ごめんな、お父さんついうっかりして、仕事に行くときの道を、そのまま走ってきちゃったよ」
           

 高速道路に入ると、車はいっきにスピードをあげました。エンジンがうなり声をあげ、標識がなぐりかかってきます。洋介は両足をつっぱり、座席の背にからだをきつく押しつけました。
(なんで? なんで?)
 お父さんはこれから見えてくる山や川のことを話しました。
(お父さんの仕事場が、なんで、山のなかにあるの?)
「山のあいだをきれいな川が流れているんだけど、いつもそこを通るたびに、洋介といっしょに川遊びをしたら楽しいだろうって考えていたんだ」
 それはうそでした。でも、いまは、本当の気持ちになりかけています。
「きょう川で遊んでみてさ、もしもお前が楽しいと思ったら、こんど、お父さんとキャンプに行くか」
 お父さんは、いいことを思いついたというように、ニコニコ笑って洋介のほうを見ました。
(お父さんの仕事場はギョーダンノギシなんじゃないの? ギョーダンノギシは海なんじゃないの? どこかの港から船に乗って、行ってたんじゃないの?)
 お父さんは音楽をかけました。テープからギターの音と、すきとおった男の人の声が流れてきました。
「これ、ウイリー・ネルソン。キャンプのときは、いつもこれを聞くことにしてるんだ。といっても、お父さんのは、ほとんどが仕事のキャンプだけどな」
(だから、その仕事のキャンプをした場所が、ギョーダンノギシ、なんでしょ?)
「キャンプをしていて、お父さんが一番好きなのは、夕方から夜にかけての時間だな。特に、夕焼けのあと一番星が出て、暗くなるのといっしょに星の数がふえてくる夜の始まりがいい」
 星明りで飲むウィスキーがおいしいということと、一匹狼になったような気分になるのが好きだ、ということについては、話すのをやめておくことにしました。
 洋介はお父さんがキャンプしている場面を想像しました。たったひとり、暗闇のなかにお父さんが座っています。たき火に照らされるお父さんの顔や、腰かけている石や足元の地面は思い浮かべることができました。でも、まわりの景色が見えてきません。
 たとえば、どんなところでキャンプしたのか、聞いてみようかとも思いました。ひょっとしたらギョーダンノギシが、お父さんの口から出てくるかもしれません。それとも、思い切って、ギョーダンノギシについて知りたいといってしまおうか。
 いつのまにか街の外に出ていて、両側には畑やたんぼがひろがり、そのむこうには山々がつらなっています。正面にも山があり、高速道路はそこに向かって一直線にのびていました。
「洋介、そろそろ最初の川が見えてくるぞ」
 お父さんがそう言うまもなく、車は川の上にさしかかりました。
「行きたいと思っている川はもっときれいだから」
「そっちへ行くと、お父さんの仕事場があるの?」
「そうだよ」
「どこ?」
「その川をこえてしばらく行った山のなかだ。行ってみるか?」
 ちょうどそのとき、洋介たちの右側を、うなりをあげて、トラックが追い抜いていきました。
「ギョーダンノギシじゃないの?」
 お父さんは、そのトラックに気をとられて、洋介の言葉を聞き逃したようでした。もう一度言ってくれというふうに、目で合図を送ってきます。
 洋介はもう一度聞きました。
「ギョーダンノギシでしよ? お父さんが働いているところは。それ、どんなとこ?」
「ちがうよ、それは場所じゃない。お父さんのことさ」
           
 高速道路をおりて、道の両側に家があったのはほんのすこしのあいだで、車はすぐに山の登り坂にさしかかりました。あふれるほど木々をしげらせた山々が、洋介たちをとりかこみます。お父さんはその山を押し開くようにして車を走らせました。山の斜面にそってのびる道は、休むことなく体をくねらせ、上へ上へと登って行きます。そして気づくと、窓の下は、いつのまにか谷になっていました。
 次に車は、大きな円を描きながら、地面の底に降りていきました。太い腕につかまれたみたいに、体が車の外へ引っぱられます。洋介は口へもっていこうとしたサンドイッチを、あやうく落としそうになりました。お父さんもサンドイッチをくわえたまま、体をななめにしてハンドルをにぎっています。
 顔を正面に向けたまま、真剣な表情です。カーブにさしかかると、ブレーキをかけ、ハンドルをきります。カーブをぬけると、ハンドルをかえして、またもとのスピードにもどします。のぼりが急になったときには、アクセルをふんで、車をせきたてました。
 洋介は、だんだん深くなる谷や、つぎつぎに姿を現す山々を見ながら、ときどき、ちらっ、ちらっと、お父さんの左手に目をやりました。
 大きくて太くてまっ黒に日に焼けたお父さんの左手は、そのごつごつした形からは考えられないくらいやわらかな動きで、床からはえた棒をあやつっています。棒を下におろしたり、上に押し上げたりすることが、運転とどう関係があるのか、洋介にはわかりませんが、す早くなめらかに動くお父さんの左手は、洋介を不思議な気分にさせるのでした。
「よっしゃ、もうすぐだ」
 お父さんの声で、洋介は顔を前にもどしました。お父さんはハンドルを大きく右に回しました。いままで走ってきたコンクリートの道が消えて、車がやっと一台通れるくらいの、でこぼこ道に入りました。頭のすぐ上にも枝がしげり、緑色のトンネルをくぐっているようです。
 お父さんはわざとスピードをだし、車がはずむと、洋介のほうを見てニッと笑いました。洋介も大きな声をあげて、目と口をおもいっきり開けた笑い顔を、お父さんにかえしました。
「どうだ、すごい道だろう」
「うん、すごい道だね」
「トラックが通るほうの道を行けば、もっとかんたんなんだけどな」
 どれくらい山のなかを走ったでしょう。ずいぶん上まで来たようにも思えますし、お父さんがわざとスピードをだして坂をくだったときのスリルが頭にやきついているので、もう谷底のほうにまで近づいているような気もします。
「そろそろ着くぞ」
 むこうに看板が見えました。あらけずりの地肌に白いペンキをぬって、そこに黒でなにか書いてあります。洋介はつぎつぎに現れる黒い部分を目で追いました。
 最初のふたつは「自然」と読めました。その次は読みそこないました。次はお化けの「化」。そしてまた読みそこなった字と、読めなかった字がふたつ。それから事件の「事」、授業の「業」、応援団の「団」。
 車はその前を、あっという間に通り過ぎました。

         (9)後半に続く

07/06/2016


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