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築城(連載 第40回) 文: 龍門 歩 作者にメールを送ります
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 骨張った手先が病的に震えている。臾茂はその震えを隠すように、慌てて届書を大目附役田原九郎衛門の近侍に手渡した。紙の白さが急に輝きを増して、臾茂から遠く離れていった。それは、卯月家の存亡に関する大きな内容を包み込んでいる。
 緊張の度が過ぎて、ここまでに礼を失した振る舞いをしたかもしれない――このとき、そんな不安が臾茂の胸元に熱く疼いた。実際、その部屋に入った時から手渡すまでの経過の記憶を、彼はまったく失っている。儀礼に関する心得があるとはいえ、その間、どんな行動を採ったかは彼の意識の外であった。しかし、もはや取り返しはつかなかった。届書は今、臾茂を越えて公のものとなっている。
 臾茂の渾身の思いを綴った届書は、高座に坐る田原九郎衛門の掌中に握られた。大目附が封書を開き、文面に視線を落とした。
 加納領藩主卯月吉景乱心のこと──。
 不本意ではある。だが、吉景が築城の計画を放棄しないかぎり、卯月家存続に残された唯一の方法は、彼を隠居させて臾茂自身が後継城主となるほかにない。表だっては現われていないが、吉景の衝動的な行動や藩政の放置に対する疑念と非難は渦巻いているはずである。そうした家中の情況を加味すれば、吉景の乱心という理由は公儀に対しても充分な説得力を持つ。そして、吉景の嫡子がいない現在、家督相続は当然、臾茂に回ってくる。しかしこの場合でも、藩の乱れ等々、武家諸法度違反を咎められて御家断絶の恐れがないわけではない。
 臾茂は畏まって視線を落としながらも、大目附の反応を感じ取ろうとしていた。もちろん、田原が最後的な決定権を握っているわけではない。彼の心証もなんら頼りにならぬ。にもかかわらず臾茂は、ともすれば、田原が直ちに裁断を下すのだ、という錯覚を払いのけることができない。眉、眼、口などの微細な働き、あるいは、読み進む際の手の動かし方、あるいは全身から漂う雰囲気。臾茂は持てるすべての感覚を研ぎ澄ました。
 田原はいつまでも読もうとしなかった。悪寒が臾茂の背筋に走った。大目附の目はまったく動いてはいないのである。文書を両手の上に広げたままの姿勢で動きを止めている。広げるまでは、べつだん異常もなかったはずである。臾茂は、その場に侍る近侍たちをも見回した。彼らも、それぞれの格好で静止している。彼らは皆、皮膚の色艶、目の光、唇の潤み、身体に溢れる瑞々しさ、そういった肉体的な生命要件のすべてを保ちつつ固着してしまった。
 時間が逃亡したのか? とすれば、臾茂自身も実は止まっているのか。そうではあるまい、意識が働くのだから。臾茂は思い切って高座へ躙り寄った。明らかに距離は縮まる。と、この瞬間、戦慄が臾茂の体毛を逆立てた。
 私は生から脱落している。――臾茂は恐怖と虚無感に弾かれて立ち上がり、部屋から逃げ出そうと脚を踏み出した。袴に足を取られて畳にころがった。臾茂は驚いて跳ね起きた。寝床の中だった。
 庭の行灯が点っている。寝つきも悪く眠りも浅くなった臾茂が、深夜目覚めたときの不安をいくぶんかでも和らげるために用意させた常夜燈である。臾茂は上体だけ起こして、明り暗く照らし出されている植栽や庭石などを見やった。そしてなぜか、心の暗い片隈に僅かばかりの温味が、懐に蹲るのを感じた。しかし悪夢で、寝衣にまで沁み込むほど冷汗を滲ませている生暖かい皮膚は、冬の冷気に触れてたちまち収縮し、冷えてしまった。臾茂は乱れた寝衣を整え直し、きつく衿元を合わせると再び蒲団の中にくるまった。
 それにしても心外だった。潜在意識からする夢ならば、けっきょくは自分自身の関知しえぬ状態で暴かれねばならない。吉景を排して彼が城主の座に上るなど考えたことはなかったのだ。しかし、たとえば、或る男が熟睡している女の喉元に刀を突きつけている情景を見た場合、そのふたりが普段から最も信頼し合っている間柄であることを知る者ですら、殺害の危機を感じるはずである。それは、その状況に参加する者の意識や意思に関わりなく、経験に照応した一定の意味づけをもたらす。そしてこの意味づけは、例外を設けることを許さない。経験に対応した単なる条件反射である。
 臾茂の城主への道も、彼が望むか否かを度外視して、築城の波紋の及ぶ範囲内に生じる可能性にほかならない。なるほど臾茂は、吉景の意図に対処する手段としてこの方途を考慮しなかった。しかし、波紋を客観視するとき、すなわち、その直中にいる自己を意識するとき、それは少なくとも拒否という仕方で想起されてしまうのである。空腹のとき食物を前にすれば、食べたくなくとも条件反射として唾液の分沁を抑圧することはできぬ。それとなんら異なるところはない。そして今、臾茂は、分泌された唾液が口中に充満していることを知らねばならなかった。飲み込んだり吐き出したり、焦れば焦るほど分泌は激しくなる。
 臾茂は幾度も反転した。条件反射に対して悔やしさが込み上げて来る。もちろん、唾液の分泌そのものの生理的反応に関するかぎり、人間の清廉潔白は単に感覚的なものである。だが、城主の地位の問題は、波紋を生起する者もそれに巻き込まれる者も、どうしようもなく所有させられる人間性の傷となる。拒否の姿勢が固まるにつれ、その傷は深まって行く。逆に言うならば、その傷を傷として感受しない者は、生に対する愚鈍さであると言わねばならぬ。どれほど純心な魂でも、生きた年月の長さに比例して、傷は増加し、深まる。とすれば、純粋な魂とは、人間性の高貴さとは、相対性にすぎないのか、それとも、傷手を負いつつもその痛みに堪えることそのものなのか。しかし忍耐もまた、醜悪であることを免れないのだ。
 臾茂はさらに体を丸めた。寒気が寝床の中に沁み入ってくる。こうした傷と醜悪さを、少なくとも拒否という形で所有せねばならないなら、人間は、独り廃墟の中に取り残されたように空しい。臾茂は、胸苦しさから寝返りを打とうとしたが、あまりの寒さに、蒲団をいっそう引き寄せるばかりだった。が、それでも腹部に生じる胴震いは全身に及んでやまない。
 臾茂はまた、臾茂自身に悲しむ権利があるのか、それを疑わずにはいられなかった。〈家〉を、人間にとって欠くべからざる生の形式、至上の価値として戴き、その存続のために個人を手段と化した行為も、それが現実になってみれば、どうしても後昧の悪い、否、さらには人間であることを否定し去ったような、痛恨と断絶感に迫られる。しかも、臾茂は、手段が純粋であったと信じている。必要な事態に陥らなかったならば、その手段は意識にも上らなかったはずである。それほど、手段として独立していた。だが反面、手段化が純粋であればあるほど、その動機が手段にいかなる目的をも組み入れない厳密さに裏付けられていることとは関わりなく、個人は己自身の人間性から引き裂かれてしまう。当然ではある。

05/03/2016


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