ホーム トップ > 投稿閲覧室 > 小説・物語 > ギョーダンノギシ(1)
ギョーダンノギシ(1) 文: 佐山 ゆうき 作者にメールを送ります
閲読数:[ 576 ]    コメント:[ 0 ] ※クリックでコメントフォームへ

           (第一回/全九回)

       (一)

 大きな手が、洋介の体の上にそっと置かれました。その手は洋介の頭をなぜ、丸まった背中をさすり、おなかに抱え込んだ足に触れ、指先までたどると、またゆっくりと、頭のほうへあがっていきました。
 カーテンの向こう側では、夜が白みはじめ、少しずつ朝が広がっているはずですが、この部屋はまだ、夜の闇にとじこめられています。
 パチッ。パチッ。パチッ。
 天井で三回、音がして、部屋がぼんやり明るくなると、光の糸にふちどられた三つの影絵がうかびあがりました。
「どうしたの?」というささやき声。
 洋介の横で、おおいかぶさるようにしている大きな背中がふり向いて低い声でつぶやきます。
「いま何時だ」
「もうそろそろ五時になるわよ」
「そうか・・・。きみは見たことあるよな、洋介の夢・・・」
「・・・」
「おれは、きょう、洋介の夢を見たんだ」
 低い声は、洋介の背中においていた手を、足のほうにすべらせながら「ショックだった」とつぶやきました。
「なんでショックなの? いい夢じゃなかったの?」
 洋介が「うーん」と伸びをしました。顔をごしごしこすっています。でもすぐ静かになってまた寝息をたて始めました。
「たしかに気持ちのいい夢じゃなかった。だけどショックだったのは、夢の中身じゃないんだ。もうどんな夢だったのか、ほとんど忘れているくらいなんだから。
 ショックだったのは洋介の夢を見た、ってことで・・・。なんて言ったらいいのかな・・・」
 低い声は上体を起こし、眉毛の間に指をあてて、そこの皮膚をくるくる回しました。
「おれはきょう初めて洋介の夢を見た。夢からさめたとき、おれは夢を見たことよりも、夢を見ないでいたこの九年間のことを考えた。洋介のことは、いつも気にかけているつもりだった。それなのに、これまで洋介の夢を見たことがなかったなんて。おれは洋介のことを、本当は考えたことがない、ということになりはしないか」
 低い声は洋介のほっぺをかるくなぜてから立ち上がりました。
「洋介は、おれの夢を見たことがあるだろうか」

 椅子に座って、フォークで目玉焼きをつついているお父さんの前に、お母さんがコーヒーの入ったカップを置きました。紅茶の入ったカップをもって、その向かいにお母さんも座ります。
 お父さんは、コーヒーから立ち上る湯気をじいっと見つめました。お母さんは、そんなお父さんを、しばらくながめたあと話しかけました。
「どうしたの、まださっきの夢のこと、気にしているの?」
「ああ」
 お父さんはボーとした声で返事をしてから、ぜんぜんちがうことを話し始めました。
「いまの仕事、気に入っているし、好きなんだよなあ」
(わかっているわよ)
 お母さんは頭のなかで返事をしました。
(いつか話してくれたけど、私だったら、いくら仕事のためとはいっても、そんな場所に、何ヶ月も暮らすなんて、できないもの)
「思っていることがあるとするだろ、おれが汗を流すと、それが少しずつ形になって、夢みたいな風景がひろがるんだ」
(わかってるってば)
「だから、洋介とのこともそんなふうに考えていた。だけどそれはおれの一人よがりだったのかもしれないな。
 日本にいないときも、毎日、洋介の写真を見ては、かわいいと思っていたし、こうして横で眠っている洋介にさわって、本当にかわいいと思っているんだけれど・・・。
 でも、かわいいと思うことは、心の表面のさざ波みたいなもので、そんなに深い気持ちじゃないんだろうな。だからおれは、いままで一度も、洋介の夢をみなかったのかもしれない。
 思っているだけじゃだめなんだ」
 まっ黒に日焼けしたお父さんは、お母さんを見て、さめたコーヒーをごくりとひと口、飲みました。
(うーん、なんだかよくわからないけど、むずかしいことはむずかしい。眠っている子に触るだけじゃ、子育てはできないのよ。昨日なんか、洋介のやつ、ズボンのポケットに、バッタを入れてたんだから。思わず、悲鳴をあげちゃったわ。これ関係ないけど)
「一年のほとんどは外国で、日本にいても、朝早く出て行ってしまうことが多いものね。でも、いつもいっしょにいるからといって、わかりあえる、っていうものでもないでしょう。まあ、それは夫婦だって同じだと思うけれど」
 お母さんはニコッと笑って、片目をパチンとつぶりました。お父さんは「バーカ」と言って、あわてて、白身だけになった目玉焼きをほおばりました。
「だけどなあ。ほんとうにそれでいいのかな」
「だいじょうぶよ。洋介は、毎日、毎日、遊ぶことで頭がいっぱいなんだから。親のことなんて、考えるひまなんか、あるもんですか」
「だけどなあ・・・」
「まだ言っているの。よっぽどいやな夢だったのね」
 時間をあわせ間違えたのか、いまごろになって、目覚まし時計が鳴り出しました。お母さんはあわてて止めに行きながら「まあ、気になるっていったら、あのことぐらいのものかしらね」とつぶやきました。
「なんだ、どうした」
 おなかをへらしたコイみたいに、お父さんはエサにくいつきました。
「このまえの個人面談のときに、岡本先生がおっしゃっていたんだけれど、さいきん、ある男の子とうまくいっていないらしいのよ。武田こういち君ていったかしら。ふだんはけっこう明るくやっているんだけれど、その子になにか言われると、落ち込むんですって」
 お父さんはちょっと心配そうな顔をして、その子の名前をもういちどたずねました。
「武田くんか・・・。コーちゃんか・・・」
「きょうはむこうにとまるの?」
「早くすめば帰ってくるけど。今日、明日中には、一区切りつけておきたいからな」
「そんなに気になるなら・・・、あさっての日曜日はどう? こっちにいられるんでしょ。いい機会じゃない。たまには洋介と一日中、一緒にいてみたら」

       (二)

 窓がいっぱいにあけられ、そのむこうに青空が広がっていました。光の粒をたくさんふくんだ空気が、部屋にあふれています。そしていつものように、お母さんの大きな声が、眠っている洋介をゆさぶりました。
 丸まっていたパジャマがもぞもぞと動き、ちょっと大きめの頭が、むっくりもち上がりました。
 洋介が横を見ると、お母さんのかけぶとんは、きちんとふたつにおりたたまれていました。でも隣に寝ていたお父さんのふとんは、寝ていたときのまま、もり上がっています。
 ほら穴のようだ。いつのことだったか、洋介はお父さんのふとんをそんなふうに感じたことがありました。
 お父さんはふとんから出てどこかへ出かけていくのではなく、ほんとうは、ふとんの奥へもぐっていって、そこでなにかをしているんじゃないか。ずっとまえ、お母さんに読んでもらった「不思議の国のアリス」のように。まさかウサギと追いかけっこなんかはしていないだろうけど。
「なにをしてるの。ほらほら、早く起きて」
 来た、来た、来た。朝の時間はたいてい、お母さんのにぎやかな声で、前へ前へと、紙くずのようにはきだされてしまいます。
「はい、はい、はーい」
 歌うように返事をして洋介は起きあがりました。
「早くしなさい。ほら、早く! 学校の準備はできているんでしょうね」
 洋介はパジャマを着がえると、だまって机のほうへ歩いていきました。すぐうしろからお母さんの声が追ってきます。
「準備してないの。毎日毎日、本当にいい根性してるわね」
「ギャー」
 洋介は叫び声をあげました。時間割の金曜日のらんは、きらいな科目ばかり。算数、国語でザンコクザンコク、魔の金曜日だよ。
 そんな洋介を見て、お母さんが再び大きく息を吸い込みました。でも「早くしなさい」の「ハ」が発射されたときには、洋介はもう洗面所にかけこんでいました。「ク」のときは顔をふいて、「イ」のときはパンをほおばって・・・。でもお母さんは、早くしなさいの「ハ」を言っただけで、あとはもう、うんざりという顔でだまってしまいました。
 洋介のまえには牛乳の入ったコップが置かれています。洋介はやせっぽちだから、牛乳を飲ませれば少しでも・・・というお母さんの作戦です。
 肥らせて肉を食べようっていうんじゃないんだから、体重なんか、ほかの子と比べる必要はない。初めはそんなふうに、お父さんもお母さんも思っていたのですが、いつまでたってもヒョロヒョロの洋介が、心配になってきたというわけです。
 洋介の手や足は、じっさいよりも長く見えました。首も同じように細くて長く、その上に大きくて重そうな頭がのっています。広いおでこには、トウモロコシの綿毛のような髪がはりついていました。
 ちょっと間が開きぎみの目は、洋介がまだ赤ん坊のころから、きらきらとよく光りました。それは、洋介の心の奥にかくされた宝物のありかを、教えているように思えてなりません。でもそれはお母さんだけの秘密です。
 洋介はまだちびちびと牛乳を飲んでいます。お母さんの口がもうがまんできないというようにぴくぴく動きました。洋介は鼻をつまんで、残りの牛乳をひと息に飲みほしました。
 でも残念ながら、そのあとにお母さんの口から出てきた言葉は「早くしなさい」ではありませんでした。お母さんは洋介の目をのぞきこむようにして言いました。
「学校はどう?」
「・・・」
 どうって言われたって、洋介にはわかりません。ただ、お母さんの胸にはなにかいやなことがひっかかっていて、それでシリキレトンボのような言い方になった、ということだけはわかりました。
「学校はどう、楽しい」
(ナンダ、ソンナコトカ)
「うん、楽しいよ」
「でも、いやなことだってあるでしよ」
(ソリャア、アルケド)
「ないよ」
(またまた、無理しちゃって。そっちがそうなら、ずばっといくわよ)
「武田君てどんな子、洋介とあまり仲がよくないの」
 武田君の名前が出たとき、ほほの筋肉がいっしゅん凍りついたようになったのが、自分でもわかりました。
 お母さんにはその表情が、目で泣いて口で笑っているように見えました。
「ああ、武田くん」
 洋介はそこで一回言葉を切ったあと、自分の気持ちをゴクンと飲み込んでから続けました。
「ちょっと前までは仲良くなかったけど、いまはもう仲、良いよ」
 うそです。でも本当のことを言ったらどうなるのか。お母さんが、にぎやかに騒ぎだすのはわかっています。ひととおり騒いだあと、パンクしたように落ち込んでいる姿まで、見えるようでした。
 武田くんがどんなことをしてきても、平気・・・ではないのですが、平気になる方法は知っています。
 武田くんの顔があらわれると、まず心臓がドキンとする。いじわるな言葉が投げつけられると、胸のあたりの血がゴボゴボと泡立つような感じになる。もしそこでなにかを言い返したら、言葉といっしょに涙が流れ出すにちがいありません。言い返してはだめなのです。
 そこで洋介が発明したのが、洋服を着がえるという方法でした。武田くんの毒針が刺さるだけ刺さったら、心の洋服をすっとぬいで新しいのに着がえればいいのです。最近では、この着替えもずいぶん早くできるようになりました。
 でも武田くんとのことを、自分の口から話すのでは、この着替えの術もつかえません。かなしさやくやしさで、どうすることもできなくなるでしょう。
 それに着替えの術を知らないお母さんだったら、自分よりもっとくやしがり、かなしがるかもしれません。洋介はお母さんをそんな目にあわせたくありませんでした。
(かなり苦労しているみたいね。学校へ行くのがいやだなんて、いつか言い出すのかしら)
 二、三日前、ランドセルを背負ったまま、玄関で座り込んでいる洋介に気づきました。静かな後姿に、かける言葉が浮かんできません。それでも少しすると、立ち上がって玄関を出ていったので、ほっとしたのですが。
 お母さんは洋介のおでこにはりついた髪をかきあげてやりました。
「相談したいことがあったら、いつでも言っといで」
「だいじょうぶだったら。ほんとうに仲良くなったんだから」
「ねえ、洋介はお母さんの夢みたことある?」
「夢? お母さんの? みたことあるよ。なんで?」
「じゃあ、お父さんの夢は?」
「どうだったかな。みたことあると思うけど。なんでさ」
「ちょっときいてみただけ」
「へんなの」

04/12/2016


閲読数:[ 576 ]    コメント:[ 0 ] ※クリックでコメントフォームへ