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築城(連載 第36回) 文: 龍門 歩 作者にメールを送ります
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 あれ以来、脳内から消し去ってしまったはずの出来事が、顔貌も姿も、出会ったころの江奈にそっくりの巫女によって記憶の層から掘り起こされたのである。そして、江奈の傷口から血まみれの未生の幻が迫ってきたことを思い出し、吉景はぞっとした。あれは、人体という形式をまといたいという濃密な意識そのもので、吉景という源流へ遡るかのようだった。というより、強烈な吸引力で吉景の存在の超出を促し、反応しようという意思が眼前の空間に凝縮していた。
 表層意識では、後悔はしていない、罪悪感もない。とはいえ、あの経験こそが吉景の性格と世界観の形成に大きな影響を及ぼしたことはたしかである。なぜなら、ふたりの人命を奪った自分に子孫をもうける資格はなく、以降、黒い雲に覆われた人生を送るほかにないと自覚したからだ。そのときから、生きる権利と、吉景でなければならぬ生の意味を模索しはじめ、自分を主体化・絶対化し、自らの生を照らす太陽をつくることに没頭した。深層心理では、深く悔い、罪の意識にさいなまれていたのである。
 しかしその精神領域は、冴乃に「善政を敷く」と約束してから、間地山で若い猟師のやすけに会うまでは、固く封印していた。その抑制の密室が、やすけを契機として爆破されたのだ。
「この巫女を生け贄にするんだ! 焚き火に捧げろ!」
 吉景は叫んだ。反射的に警護の武士たちが駆け寄り、恐怖のあまり立ちすくんだ神主を払いのけて巫女を捕らえた。
「なにをなさいます!」
 驚いた浅居が顔色を変えて吉景を見た。吉景は一顧だにせず「薪をくべろ、どんどん燃やせ」と家来たちに命令する。
「殿、そんなことをなさっては鎮守神を怒らせることになります」
 浅居は声を震わせた。吉景は浅居に向かって口を歪め、鼻で嘲笑しながら、「生け贄を捧げるのだ、怒るどころか大いに喜ばれるだろう」と怒鳴った。
「無辜の民を殺めてしまっては、殿のお考えや行動を自ら貶めておしまいになります。なんのために息詰まるほど思索を続けていらしたのですか? なんのための壮大な構想ですか? なんのために臾茂殿を苦しめておられるのですか?」
 浅居は主君の腕に縋りついた。
「うるさい! 私の記憶の墓場を勝手に掘り起こした女だ、許すわけにはいかぬ」
「〈記憶の墓場〉とはなんのことか私にはわかりかねますが、この巫女が生け贄にされねばならぬ積極的な理由について、今現在、私は了解いたしかねます。領主という立場を借りての人殺しとしか思えませぬ。なにより、人間の自由や尊厳や価値などについて熟考なさったと思っておられる殿こそ、そのような陋習を打ち破るべきではありませぬか。創造を重んじ、個性を至上命題とされる殿がとるべき行動とは思われませぬ。それに、どのような理由があるにせよ、遠い過去の陋習である人身御供を鎮守神が喜ばれようはずはありませぬ」
 吉景がほとんど正気を失っていることを知りながら、浅居は自らの危険も顧みず懸命に説得を試みた。
「なにが鎮守神の怒りだ、なにが祓いだ。そんなものはやめたぞ」 吉景は喚きながら、まといつく浅居の萎びた腕を振りほどいた。
「神の怒りなど、たかが知れている。真に恐ろしいのは生身の人間なのだ」
 立ちすくんでいる神主の笏と御幣を奪い取り、それらに思い切り唾棄して焚き火に投げ入れた。火の粉が舞い上がった。それでも足りず、吉景は傍に置いてある薪を何本も投げ入れた。火勢が一気に増した。
「さあ来い、おまえを火炙りにしてやる!」
 巫女を焚き火の傍へ引っ立てて、吉景は言った。
 払いのけられた浅居は白髪を乱し、もはや制止する気力も、吉景の狂気を包む余裕も失せ、その場の光景を茫然と眺めやるのみであった。
 一陣の風に煽られて炎は乱れ、さらに明るく燃え盛った。火の明るさが増すにつれ、周囲は逆に薄暗く沈んでゆく。
 ほどなく雪も降ってきた。灰色の上空から無数の粒子が白く黒く間断なく落ちかかり、空間を充たして四方の遠景を朧に遮ろうとする。吉景は雪にも気付かないのか、べったりと上気した笑みを浮かべたまま炎を凝視するばかりである。
 燃え尽きろ、消えてしまえ。まるで、私の子や、やすけによっては宇宙の中に何事も生じなかったかのごとく、私の恐怖と呪詛を背負って跡形もなく失せるがいい。
 一個の人間すら、存在することは恐ろしい。その存在自体が気違い沙汰なのだ。存在とは、在ることではない、生きることだ、認識することだ。人類の歴史を支えているものは狂気であることを、知らないとでもいうのか。また、そうでなくして、いったい誰が建設しようとするのか。
 吉景は急に寒気を覚えた。首が衿の中に竦む。
 雪か――眉をひそめてあたりを見回した。降雪はだんだんひどくなってきた。しかし、火の近傍はむろんだが、まだどこにも積もってはいない。遠くを眺めれば、次から次からと降りしきる雪の粒が幾重にも層を成して煙幕のように厚く、そうした視界に拡がる空間の極度の狭さにも関わらず、かえってその無限の奥深さを感じさせる。大粒の雪はただ静かに、ひたすら重く速く連続的である。
 吉景は、そんな荒漠たる風景の直中へ吸い込まれてしまい、麻痺したように頭がふらついた。吉景は、はっとその眩暈を切り落として、無形の空間から身を退いた。と同時に、明確に造形されたものを探さねばならぬ不安と衝動に駆られた。
 雲、雪片、山、木、草、火、土、そしてここに群がる人間ども。自然の意図など知るものか。
 苛立って、彼は定まらぬ視線を東方へ向けた。
 何かないのか? 加納城は何処にあるのか?
 いつしか吉景は加納城の姿を求めていた。微かに走った抵抗感も須臾にすぎなかった。
 城は何処にあるのだ?

08/26/2015


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