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築城(連載 第34回) 文: 龍門 歩 作者にメールを送ります
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 角桐徠起は浅居に話しかけていた。が、老臣にしてみれば、経始に腐心したり資材の生産地を探したり、大工や土工、石工集めの方法を考えたりと、城築の実現に向かって脇目もふらず行動している吉景が、その構想の原理として考えている個性という観点から、沙忠に共鳴することは当然であり、たとい従弟同士といえどもそれを曲げる事態は生じまいと思っていたので、彼の依頼は実に迷惑なことだった。しかも、武士道や〈家〉の問題を繰り返す徠起を、浅居もさすがにもて余していた。
 その間に吉景はようやく、二人の遅々として進まない会話を耳にする現在時点へ遡ってきた(過去の出来事は時間的な位置を占めずに、或る未来の中に存在するものである。というのは、もし位置を占めるならば、やがては過去の時間として位置づけされるからだ。そこに、歴史を考察する自由と意義がある。そして、過去に残るのは、単なる出来事の航跡にすぎない)。
「浅居様、あなたが私の立場にあったら、いったいどうなされます?」
 角桐は詰問するような口調に変わっていた。浅居がそれには答えず苦い表情で黙していると、脇から吉景が口を挾んだ。
「あいにく、私は他人の立場に立つことができないのだ」
「茶化さないでください」
 徠起は興奮した面持ちで吉景に食ってかかった。
「茶化してはいない。他人の立場に立とうとする同情こそ、宗教と共に、人間の得た最も俗悪な、最も有害な、最も不純な関係だ。それは、不可能なことを実行しようとするがゆえに、自己に対する厳しさを見失わせる。個人の価値を貶める。何人であろうと、己の存在価値を主張すべきなのだ。同情の代わりに軽蔑しろ、宗教を無視しろ。これらこそ、自信に裏付けられた自己主張の透明な形式なのだ。事実、時代から演繹される個人は、それ自身の価値を持っているではないか。そして、宇宙観の共有を拒絶すると同時に、おのおのが自己の宇宙観の中心とならねばならぬ。この拒絶の契機が自己愛なのだ。すべての人間が、自己の尊厳を自覚せねばならない、尊厳に相応しい自己を形成するために努力せねばならない。そして、尊厳に基づいて自己自身を存在の条件とすることだ。これは、自己を対象化しうる人間の、いずれは選択すべき宿命であり、権利でもある。だから、同情を捨てろ、信仰を破れ。世界構成の根源に過不足はない。在ること、そしてその否定、それだけだ。とすれば、ここに残される道はただ一つ、世界と自己との関係に対する質量的な認識のみではないか。なぜなら、憧憬の入り込む余地はないからだ。この諦観を踏んまえて、私たちは自己を未来へ投げかけるのだ。というのも、愛する情熱は創造への出発であり、愛されることは創造への動機なのだから。このとき、私たちは全き孤独を知るだろう、虚無の直中に巻き込まれている自分を見出すだろう。しかし、人間の主調低音は、自由であることからする孤独にほかならない。また、孤独とは、最も峻厳な自愛を要求するものだ。そして、愛こそ、あらゆる存在の仕方に堪える力なのだ」
 角桐徠起は、むしろ呆れ返ってものも言えないようすだった。それからひしゃげた沈黙が続いた。吉景も浅居も無表情に坐ったままである。時機を失して苛立った角桐は、ようやくぎごちない暇乞いを述べて立ち去った。

06/17/2015


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