ホーム トップ > 投稿閲覧室 > 小説・物語 > 築城 (連載 第33回)
築城 (連載 第33回) 文: 龍門 歩 作者にメールを送ります
閲読数:[ 561 ]    コメント:[ 0 ] ※クリックでコメントフォームへ

「吉景様の御子を授かりました」
 淫らで艶やかな笑みを満面に浮かべて江奈が、十三歳になっていた吉景に告げた。強い潔癖感の写像である不潔感と罪悪感に苛まれながら、その後も吉景は欲情に駆られて江奈と肉の交わりを続けていたので、何回目の目合でそうなったのかはわからないが、当然の結果である。
「どこにいるのだ」
 表情を強張らせた吉景が尋ねると、江奈は彼に近寄り、「ほら、ここに……」と、青白い吉景の手を導いて、自分の下腹部に当てがった。見ただけではまだ目立たないが、触ってみると、着物の上からでも僅かにふくらんでいることがわかった。吉景はしばらく確かめるように撫で回していた。常態ならばふくよかな柔らかい弾力が伝わるのだが、そのときは、張り詰めた硬い感触であった。
 指先に神経を集中させていると、江奈の胎内に宿る生命の萌芽が彼女の肉を透過して、吉景に触手を伸ばしてくるような気がした。そして、自分と江奈を介して人間が生まれるという実感を胸に受けとめる一方、江奈に対しても肉欲の相手というだけでなく、粘膜を密着させた直後から生じていた男女の親しみがはっきりと感じられるのだった。
 今思えば、その親密感は好悪とか愛憎とは異なる、存在の欠如を充填し合った者同士の、互いの機能によって生み出した生命を共有する者同士の、その生命によって同化を確認した者同士の、同一性の親和性ではなかったか。しかも、それは純粋に感覚的な同一性である。肉体が在ることのみを前提として、肉体の完き存在への行動を選択することだけによって、仕方の問題ではなく形式的な手続きだけによって、結果される本来的な共有性なのだ。この限りにおいて、存在の単一性への復帰はいかなる努力をも要しない。ただ、在ることだけが条件なのである。
 吉景と江奈との肉体の核心は、ぴったりと接合したかに思われた。吉景は深い安らぎを覚えながら、愛撫の手を江奈の腹から離した。
 刹那、吉景と江奈とは空間によって隔てられた。感覚が突如、研ぎ澄まされて吉景の安らぎは暗転し、不意に自分も江奈も虚空に孤絶していることを意識した。あらためれば、どのように縒り合わせようとしても不可能な、独立した系である。感覚とは、存在間の断絶を確認する作用であり、断絶を量的に意識する機能でしかない。それゆえ、関わり合いの仕方を無視するのだ。とすれば、江奈は吉景にとっていったい何ものなのか。感覚という、対象の直接的な把握によって誘導された結合は、吉景の生において何を意味するのか。世界観とは、関連の質的・量的な意識でなければならぬ。なのに、江奈との関係において質的な意識、即ち理性が欠如してはいなかったか。感覚による意識は、関連づけに過ぎない、在ることに過ぎない。次元の欠落した宇宙の平面図である。立体性を持たぬ、自由空間のない、肉体的に規定された、時空内容の必然性と因果律による素材である。創造の場のない、単なる世界である。
 不潔感と自己嫌悪が全身を駆け巡ったのと、単に条件反射としての意識のみから交わったことに気付いたのと同時だった。瞬間、吉景は江奈と熾烈な敵対関係にあることを感じた。何故なら、感覚次元において自己外存在は断絶によって対立性を有し、しかもこの場合、対象となる女性は、存在を共有することによって、即ち、生命を新生することによって直接、吉景の個体維持を否定し、無限への還元を意志するからである。このとき江奈は、吉景との関連において位置を変えた。
 吉景は急に敵意を含んだ視線で江奈を見た。ついさきほどまで、安らぎとともに感じた彼女への親しみも、逆に、振り払いたいような厭わしさをもたらす。よく見れば、既に下腹部は外からでもわかるくらい膨脹している。
 この内部で、忌わしい命が成長しているのか。私が移植した私の敵が――
 江奈は、突然変貌した吉景のようすに、はっと身を引いた。
 私に余剰などはない。無限に連なろうとするほど僣越ではない。この愚か者め――
 かたくなな自己保存への希求から、吉景は手当りしだいの呪詛を思い巡らした。
 死ね、売女――
 ぶるぶると震えだした吉景は、荒々しく刀を取って江奈の腹部めがけて突き刺した。
 女の膨脹した腹部の切り口から迸り出た生暖かい返り血を浴びて、少年=吉景は全身の毛孔が奥深く冷やかに収縮するのを覚えた。刺し込んだ刀を粘着性の抵抗に逆らって引き抜くと、江奈の官能的な裸体がぴくりと反応した。空をつかむように差し伸ばした手の顫動も、紫色に変色した唇の震えも、やがて人形のように止まった。いっぱいに見開いた目蓋の中、締りなく瞳孔が拡がっているが、唇はくやしげに真一文字に結ばれ、鋭く穿たれた傷口からは血液が流れ出ている。
 死体を見下ろしながら興奮のあまり乱れていた呼吸や心拍が収まると、吉景はきつく握り締めていた刀を死体の上に投げ捨てた。そのとたん、腹の底から喉元へ突き溢れた嘔吐感に、吉景はたまらず、口から鼻から、黄褐色の液体を戻してしまった。そして、嘔吐物の堪え難い味と悪臭が脳髄を浸したとき、実体とは無関係に生命を主張するあの幻が、息絶えたばかりの江奈の腹の切り口から這い出して、喘ぎながら吉景の肉体に喰い込もうとしはじめた。吉景はあわてて蒲団の中に潜り、耳をふさぎ、口をつぐみ、目をつむった。いまや、対の一方を失ったことが明確に観取できる表象となった欠落の幻は、その安息所を求めてさまよい漂うかのようだ。その内在的な生命は、吉景の体内における自己の事象化を主張してやまない。吉景の外延であることの証を求めてやまない。
 吉景は抵抗し、追い払おうとした。幻のつきまといは執拗に継続された。脂汗を滲ませて、祈りにも似た思いで拒絶する。しかし、肉体をまとっていない幻は疲れを知らない。空を切る吉景はしだいに疲労し、衰えて消えようとする。その瞬間、局部が極大になって溶融する暗黒の細い隧道に魔的な快感が走り、濃厚な天の川が激しく迸り出た。

05/19/2015


閲読数:[ 561 ]    コメント:[ 0 ] ※クリックでコメントフォームへ