ホーム トップ > 投稿閲覧室 > 小説・物語 > 築城 (連載 第32回)
築城 (連載 第32回) 文: 龍門 歩 作者にメールを送ります
閲読数:[ 565 ]    コメント:[ 0 ] ※クリックでコメントフォームへ

「どのみち、沙忠は勝近様のご沙汰で処刑されるのです。もちろん、あれだけの不義を犯したのですからそれも当然でしょうが、しかし、せっかく勝直様の特赦を受けたのです、できることなら、今、時期を外さぬうちに追腹という形で自害させたく思います。もはや死が決定している者のために〈家〉が取り潰されるなど、馬鹿馬鹿しいことではありませぬか。しかも、処刑されるとなれば、沙忠自身はむろんのこと、角桐家もまた甚しい恥辱を加えられます。私個人としては沙忠が処刑されるのもいたしかたないとは思いますが、実弟であれば、道を立てる術もあるというのに、みすみす辱めを受けるのを見るにしのびないのです」
 顔を引き攣らせながら角桐がこう言うと、吉景は頭を擡げ嘲弄するような表情を作った。
「そんなに沙忠の死が大切なら、私がかくまってやろう」
 角桐も、また、それまで無関心であったはずの浅居も、とたんに蒼褪めて狼狽した。
「殿、とんでもないことです。花田家と悶着が起こったらいったいどうなされます。勝近公は将軍家を控えていらっしゃるのです。いささかでも間違えば、卯月家は滅亡の危険にさらされましょう」
「いいえ、沙忠が追腹しないかぎり、角桐家お取り潰しは必定なのです」
 二人は急き込んで吉景の見解を否定した。反射的に、吉景は大きく笑った。
「〈家〉か……社会構造とは、常に錯倒を余儀なくするものだ。民族主義と国家主義とを取り違えてはならぬ。たとい、民族自決の原則に立つ国家であっても、民族の志向と矛盾することはある。このとき、国家は民族に従属しなければならぬ。個人と〈家〉との関係においても同様な錯倒が生じやすい。二者の軽重を区別すべきではない。国家も〈家〉も、要するに社会形態は、私たちにとっては生の場なのだ。私たち個々の人間と同列なのだ。社会を不当に外界視することによって、私たちはあまりにも共有するものを背負い込んでいはすまいか。その共通性に甘んじて、生きることへの潔癖さを失ってはいまいか。ここに、生への曖昧さが生じるのだ。社会に対する過信が、個人の責任を社会の名によって社会へ転嫁する原因となる。もはや、社会の存在を前提せずに、純粋な一個人として行動を求めるべきなのだ。人間の意識段階は、そこまで進歩しているのではあるまいか。この段階においては、人間の先験的な善悪性は問題とならぬ。孤独の中で、いったいどんな善悪が生じようというのだ。それゆえ、私たち一人一人が自我、すなわち生の場を創造し、そうすることによって、組織という可変の共有物を捨て去り、それぞれの個性の拠って立つ人間性という唯一の本質的な主調低音に耳を傾けねばならぬ。社会は、こうして、おのおのが抱いた真の実在感の上に、無数の世界観を許容しつつ大きく包容するものであってほしい。このときはじめて、全と個とが両立しうる、否、もはや全と個の二項対立も問題とならず、個的であることが全的であり、全的であることが個的である社会が実現するだろう。そして、最も単純な社会形態として生の場が組み立てられるはずだ。ここにすべての人々の創造的な躍動が展開される。なぜなら、これこそ普遍性に基づいた生の形式なのだから」
 人間や社会の未来を信じるのか――吉景の胸裡を、隙間風が吹き抜けた。鳥肌の立つ肌触りを無視して吉景は言葉を継いだ。
「この意味で、私は沙忠を擁護する。なるほど、彼の行動は愚かしいことだった。番い合ったまま離れなかったばかりに捕まる蜻蛉にも等しい。だが、沙忠は潔癖ではなかったか。彼自身の世界を築きはしなかったか。大袈裟なことではない。恋慕することによって世界認識を彼自身の仕方で捉え、行動することによって世界を変えたのだ。なぜなら、直向な恋愛は、独自性の最も敷衍的な形式なのだから。そう、世界の変革こそ、世界に対する私たち独自の関り合いの仕方こそ、人間の生における最も重要な使命なのだ。これこそ、命を代償として為し遂げるべき仕事なのだ。なぜなら、変革は宇宙の新生を意味するからだ、時代が既にして成した宇宙に組み込まれていた自己を、この覚醒によって解放するからだ」
 吉景は話を止めて、浅居と角桐をちらと見た。
「とはいえ、心配するな、私は沙忠をかくまおうとは思っていない。沙忠の潔癖さを汚す権利を私は持たぬ。もともと、恋愛とは孤独なものなのだ」
 浅居は仰々しく安堵の溜息を洩らした。が、角桐徠起は悲痛な面持ちに変わっている。
「たかが恋愛沙汰ではありませぬか。それに大きな意義を見出して擁護なさるとは、吉景様らしくもない。弟は、女狂いをしただけで、もはや武士としての資格を失っています。しかも、卑怯未練にも命を惜しむとは、情ないことです。男の理想を求めて身を滅ぼすなら、まだがまんもできましょう。しかし、女一人のために〈家〉をも巻き添えにして、親族の顔に汚辱の泥を塗りたくることは断じて許されません。そのうえ、父上の遺言までも無視しているのです」
「たかが恋愛沙汰、とお前は言う。しかし、いったい女性に対してすら誠実でありえぬ者が、他の何ものに対して誠実を誓うことができるのか。人間存在の最も原初的な、自然な志向に真摯でない者が、より稀薄な志向性に真摯でありうるか。もちろん、親兄弟を愛するべきであるかもしれぬ。だが、親兄弟とはいわば偶然に成った関係なのだから、愛する必然性は恋愛におけるよりも薄弱なのだ。個体の独立を認めるならば、親兄弟や〈家〉を愛さないからといって責める権利は誰にもない。愛される自信があるなら放っておけ。愛されたいなら努力しろ。そして、愛されないなら当然と思え。これが、血脈間における愛の存否なのだ」
「しかし、愛においてすら避けえぬ事態は生じます」
 毅然として角桐徠起はこう言った。吉景は一瞬たじろいだようであったが、すぐに態勢を立てなおした。
「それは社会構造との軋轢にすぎぬ。なぜなら、愛こそすべての関係を内包するものだからだ。純粋な愛は決して顕象しない。存在の条件として、人間の生き方の底流に秘かに沈む慎ましい契機なのだ、それ自身においては何ものをも主張しないのだ」
「しかし、なお、愛においてすらも避けえぬ事態に陥っています」
 角桐徠起は執念く繰り返した。じっと彼を睨みつづけている吉景は、苛立たしげに手を動かしたり、坐り具合を直したり、脇息に肘を掛けては離したりしていた。
「殺せ、殺せ。お前の手で殺すがいい」
 たまりかねたように吉景は突如こう叫んだ。と、そのとき眩暈を覚えて、彼は再び時間の裂目から滑り落ちていった。

04/07/2015


閲読数:[ 565 ]    コメント:[ 0 ] ※クリックでコメントフォームへ