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市場の歩き方 最終回(生シラス) 文: 山川 洋 作者にメールを送ります
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 これまでの私の購買スタイルは、市場で気に入った魚を見つけると、後先考えず速攻ゲットしていたものであるが、近頃そのようなスタイルにいささか問題が生じてきた。
 そもそも、市場に買い出しに行くときには、家族みんなで囲む食卓のイメージがあった。それが、娘が嫁ぎ、息子は仕事の都合で家を離れ、一人住まいをすることとなったのである。残ったのは、カミさんと私(と柴犬一頭)。これが現在のわが家の全構成員である。
 さてこうなると、いくらなんでもトロ箱単位では多すぎる。知人に差し上げるという解決策もなくはないが、一度や二度であればまだしも、毎度毎度ということになれば、お返しやら何やらと先方に気を遣わせることにもなって、かえって迷惑をかけてしまう。また、大抵の家では丸のままの魚をもらっても始末に困るだろうから、直ぐに食べられるように、捌いてから差し上げなければならない。自分の家の分よりも、よそ様のために毎回大量の魚の下ごしらえをしなければならないのは本末転倒で、楽しみというより苦役以外の何物でもない。
 結局、私とカミさん二人分の夕食のおかずがあればよいわけで、普通に考えれば、スーパーの刺身盛り合わせでも十分すぎるくらいである。だが、それではお仕着せの、マグロ、イカ、甘エビ、サーモン、ハマチ、養殖マダイなどのありきたりの魚ばかりで、あまりにも寂しいものがある。かといって、わざわざ刺身を買いに電車に乗ってデパ地下に出かけるほどのものでもない。
 せっかく早起きして出かけて来ても、買える魚がないのでは、まるでウインドーショッピングのようで、市場通いの楽しみもなくなってしまう。手ぶらで帰るのも業腹であるし、何かないかと鵜の目鷹の目で店頭を物色するが、そうそう都合よく二人で食べきれるサイズの魚など見つかるはずもなく、途方に暮れつつ場内をさまようこととなった。
 もういい加減に帰ろうと思った矢先、すしだね用のコハダやトリ貝の傍に、パックに入った生シラスが置いてあるのが目に留まった。
(これなら買える。)
 湘南や静岡方面の漁港のそばには、生シラスの丼を名物にしているところがある。生のシラスと釜揚げシラスを丼に半分ずつ盛りつければ二色丼だし、これにサクラエビが参加すれば三色丼である。
 薬味に大葉とすりおろしショウガくらいがあれば、それで成立する。なによりこれは、包丁を一切使わなくても済むし、ということは生ごみが出ない。
 けっこう毛だらけ猫灰だらけである。見上げたもんだよ屋根屋のふんどしである。早速1パック購入。
 いつもはトロ箱か、ビニール袋でもずっしりとした重量感のあるのをぶら下げて帰るのだが、今回はシラスなので、コンビニの一番小さなレジ袋くらいのものである。こんなものを買いに、わざわざ早起きして市場まで来なくともよかったかなと、軽い後悔の念と共に帰宅。シラスは冷蔵庫のチルドルームに放り込んでおしまい。
 夕食は、茶碗に炊き立てのご飯をよそって、大葉の千切りを敷き詰め、その上に生シラスを乗っけてショウガ醤油をかけまわす。あとはガシガシとかっこむだけなので、食事の準備も早けりゃ食べ終えるのも早い。食事の前に、私の酒の肴として、けっこうパクパク食べていたのだが、それでもふたりで1パック食べきるためには、これでもかと、てんこ盛りにしないと、シラスが余ってしまうことになる。
 食後、茶を啜りながら、何とはなしにカミさんと顔を見合わせた。お互い、別にしゃべることもないのだが、子供たちのいない二人だけの食事に、なんとなく味気ない思いがしたからなのだろう。

 楽しみはまれに魚煮て子等皆がうましうましといひてくふとき (橘曙覧)

03/13/2015


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