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市場の歩き方 12(イナダのお土産) 文: 山川 洋 作者にメールを送ります
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 いつものように早起きして市場に来たものの、いまひとつ食指の動くピンとくる魚が見当たらず、場内をぶらついていると、以前何度か買い物をしたことのある魚屋の前で声をかけられた。
「オハヨウッス!今日はブリどうですか、ブリ。お値打ちですよ」
 ちらっと店頭に目をやると、大きなトロ箱の砕氷の上に、五・六本の魚が並べてある。
「ブリぃ?こんなのイナダだろ。せいぜいワラサってとこだよな」と、即座に突っ込みを入れる。
 ご存知のように、ブリは出世魚で、その大きさによって呼び名が変わる魚である。体長三十五センチまでをワカシ、六十センチくらいまでをイナダ(関西ではハマチ)、六十センチから八十センチの間がワラサ(同メジロ)で、八十センチメートル以上になって、ようやくブリと呼ばれるようになるのである。
 威勢の良いアンチャン、ちょっとタジッとした風で、
「いやー、でも今朝氷見の方から入ったばかりの天然ものですよ」と、付け足した。
 あらためて魚を見れば、アンチャンの言うこともまんざら嘘ではないようだ。
 張りのあるスマートな魚体や鱗の輝きを見れば、養殖ハマチでないことは一目瞭然であるし、澄んだ目の色は鮮度が良好であることの証である。
 さらに、その並べられたイナダの中に、口からアジのシッポが飛び出しているのがあった。おそらく、定置網かなにかで捕獲されたのだろうが、その時、いっしょの網にいたアジにくらいついたものと思われる。そのままの状態で船に引き上げられ、冷たい氷水に漬けられ、昇天したのだろう。養殖ハマチはいけすの中で、ペレットを与えて育てるので、丸のままのアジをくわえることはない。
 当日はまだ何も買っておらず、冷やかしだけで帰るのも愛想がないと思われたので、
「じゃあ、せっかくだから一本もらおうかな。どうせなら、そのアジをくわえた元気なイナダがいいや」
「ヘイ、毎度!」
 千二百円プラス消費税を帳場で払って、魚を車に積み込みさっさと帰宅する。
 市場から急いで帰るのには訳がある。
 土曜日は生ごみ回収の日になっていて、わが家周辺の回収時刻は午前八時三十分頃である。それまでに魚をさばいて、エラヤ内臓などをひとまとめにしてゴミ置き場まで運ばなければならない。次の生ごみ回収は水曜日になるので、それまで魚の粗を屋内に保管することは耐え難い。時間との勝負、忙しいのである。なにも休日の早朝から、せわしなくひとりでバタバタすることもなかろうと思うのだが、そういう性分というか、それが好きなのだから仕方がない。
 さて、イナダ一尾とはいっても、頭も尾もまな板から充分にはみだすサイズである。さらに口からはアジの尾っぽまで突き出ている。捌く前に、まずこれを引き抜かねばならない。指でつまんで引っ張ってみるが、ヒレやゼイゴが引っかかって、力を入れても出てこない。なるべくことを穏便に済ませたかったが、そちらがその気なら仕方がない。こちらとしても覚悟がある。
 俺も鯉名の銀平さ~ァ♪こうなれば力づくでと、愛用の出刃をすらりと抜き放てば、たちまちシンクは血の吹雪ィ~チャンチャンということで、イナダの下あごから肛門までを一文字にかっさばき、腹側から指を入れて口中のアジを抜き取る。逆側からだとすんなり抜けた。
 まるまると太ったりっぱな中アジである。下半身しか見えなかったので、もっと小さなアジかと思っていたが、なるほど、これならイナダも飲み込むのに苦労したはずである。しかも、くわえられたまま水揚げされ、すぐに氷水に漬けられていたので、イナダの消化液の洗礼も受けておらず、鮮度は極めてよい。これなら食える。生で充分いける。
 関の鍛冶屋が鍛えし出刃包丁を手に、朝っぱらから大立ち回りを演じ、ごみ出しも無事完了して、こちらが肩で息をしているところで、ようやくカミさんがパジャマ姿で起きだしてくる。
「今日の晩ご飯は決まったの?」
「イナダの刺身、カマ塩焼き、アラ汁、以上。食べきれない分は、とりあえず切り身にしてジップロックしてチルドルームに入れておくから、二・三日うちに照り焼きかソテーにでもするように。忘れるなよ」
「了解」
 かくして、夕方の食卓には、イナダの刺身、カマ付の頭を二つ割りにしたオーブン焼き、砂ずりや血合いの部分を笹掻きのネギと合わせた潮汁といったイナダづくしの他に、アジの姿造りが食卓を飾ったのである。
「アジも買ったの?」
「イナダのお土産」
「なに、それ?」
 訝るカミさんに、イナダに食べられたと思ったら、実は人間に食べられているアジの運命について、人生の教訓めいた話でもしようかなと思ったが、何も浮かばないので「ハハハ」と笑ってごまかした。
 私の晩酌は、このイナダのお土産のアジだけで事足りたような次第。

02/11/2015


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