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市場の歩き方 9(げんげ) 文: 山川 洋 作者にメールを送ります
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 市場で珍しいものを見つけた。「げんげ」である。
 いきなり「げんげ」といっても、判る方は少ないであろう。漢字を当てれば「玄魚」もしくは「幻魚」ということになる。字面からするといかにも高級そうなイメージであるが、実はそうでもない。大きさはせいぜい三十センチほどの小魚で、ズワイガニ漁の底引き網に掛かってくる、要はおまけのようなものである。
 当然、水揚げはズワイガニ漁が盛んな日本海側が中心になっており、主に現地で消費されているので、全国的な知名度は低い。体色は薄茶色と灰色を突き交ぜたようで、つぶらで黒目がちの可愛い顔をしているが、下半身は幽霊の尻尾のように細くなっている。
 そして、全身がくにゃくにゃしている上に、ぬるぬるの体液で覆われているのが最大の特徴である。(近似種にカンテンげんげやコンニャクげんげなるものが存在することを知れば、なんとなく想像が出来るだろう。)
「へえー、珍しい。げんげだね」
 トロ箱を覗きこみながら口にすると、そこの大将が、
「おっ、げんげ知ってるの?」
と、うれしそうな声を上げた。
「うん。釣りをやるんで、いくらか魚の顔は見分けられるよ。日本海の方でよく獲れる魚だよね。でも、この辺で見かけるのは初めてだなー」
と言えば、大将
「俺が変わり者だから、変なものばかり仕入れてサー」
 なにやら自慢げである。
「食べたことあるの?」
 探るように訊いてくるので、
「いや、まだ食べたことはないけど、金沢辺りでは、ぶつ切りにして味噌汁にするらしいね」
と、以前食通の書いたグルメ本で読んだ知識を披露。
「うん、俺も干物にしてみたんだけどねー」
 親父、いささか歯切れが悪くなった。
「まあ、近頃グルメブームも過熱気味で、B級だとかC級だとかいって、ちょっと珍しければ何でもありがたがる風潮があるけど、地元でしか食べられていないというのは、それなりのわけがあるのよ」
と、いたってまっとうな商売人の口ぶりである。
 そもそもこの親父、魚卸売を生業としているが、時折テレビコマーシャルに出演するなど、陰で芸能活動もしており、ちょっととっぽいところがある。そのせいか、取り扱う魚もほかの店と少しばかり違っている。
 もっとも、こちらとしてはそこが面白くていつも顔を出しているのだが。
「まあいいや。げんげは初見参だし、ちょっと試してみよう。五匹ばかりもらおうかな」
「はい、毎度。じゃあ、せっかくだからおまけしておくよ」
と、余分に四匹も蠟引きの紙袋に放り込んで手渡してくれた。
 味噌汁だけと思ったのだが、それでは煮付けにも挑戦してみようか。
 台所でげんげの下処理をおこなう。
 まず、ぬめりのある体全体を水道の水でよく洗う。ぬめりといっても、これが中途半端なものではない。まるで、なめこかじゅんさいのような強烈なもので、魚を持つ指の間から、ヌラーッと滴り落ちる。
 このぬめりが命なので洗い流してはいけない、などと書いた本を読んだことがあったが、(これがまったくいい加減なコメントであることが、後程判明する)ヌルの中にゴミが混じったまま調理するのも嫌なので、指でしごいて体表のヌルはしっかり落とした。
 ヌルヌルからツルツルの湯上り美人になったげんげをまな板に並べ、頭を切断し、ついでに体も三つくらいにポンポンと胴切りにする。さらに水道の蛇口の下で、切断面から割り箸を二・三度抜き差しすれば、内臓はきれいに抜ける。刺身にするわけではないから、三枚におろしたり皮をはいだりする手間もなく、処理は簡単である。
 あとは、ぶつ切りにしたげんげを、水を張った鍋に入れ、ガスを着火。やがてふつふつと煮立ってきたところで、表面に浮いてきたアクをすくう。
 すると、なんということでしょう。(以下、ビフォー・アフター風に)
 水洗いでツルツルになっていたはずのげんげの表面が、いつの間にか粘液質の物体ですっかり覆われているではありませんか。それどころか、(匠の技術によって?)鍋の汁全体がうっすらととろみを帯びているのです。
 ここへ笹掻きのネギを投入し、適量の味噌を溶かせば、げんげ汁の完成である。
 煮付けの方もほぼ同じ手順で、味付けは酒と醤油。臭み消しに生姜のしぼり汁を入れて、これもオーケーである。
 さて、げんげ汁に初トライ。
 鍋からお玉ですくい上げると、どろーっと粘液が糸を引く。もはや、なめことかじゅんさいとかの領域ではない。なにやらホラー映画めいた雰囲気さえ漂ってくる。その様子に、家族の者は顔をしかめ、当の本人の腰も引け気味となるが、なんとか粘液ごと椀に納め食卓へ。煮付けに至っては、ぷるるんぷるるんと、まるで魚のゼリー寄せである。
 コラーゲンたっぷり、なんてことは言われなくても誰でもわかる。問題は、これを食べたいと思うかどうかである。
 家族は戦意喪失。食欲ゼロ。
 私とて、同じゼロでも、栄エンジン搭載五十二型にまつわる話でもあれば膝を乗り出しもするが、げんげのゼロからは逃避したいような気がしないでもない。
 だが、自分で買ってきて調理までして、いまさらトライしないわけにはいかない。グルメ本には美味いと書いてある。
 それを唯一の頼りとして、汁椀からヌルが糸を引くそれを箸先でつまみ出し、おそるおそる鼻先に持ってくる。特段、嫌な臭いはしない。
 まず、粘液ごと啜りこむようにして、ぶつ切りの半分を口に入れると、身は白身で柔らかく、歯を使うまでもなく、ほろほろと崩れる。味にかすかなクセのようなものが感じられるが、おそらくこれはヌルによるものだろう。残り半分も吸い込むようにして食べる。
 同じようにしてもう一切れ食べてから、けっこう小骨が多く、中骨から外れた細い骨が口に残り、いちいちそれを吐き出さなければならないのが、面倒であることに気がついた。
 次に汁を啜る。どろっとした感じで、ネバネバの汁が口に入ってくる。そこはかとなく匂いのする粘度の強い汁が口中に満ちる。(ごくり)と飲み下し、今回は少しばかり選択ミスをしたかなーと思いつつも、家族の手前早々にギブアップすることもはばかられ、平静を装って一杯目を完食。
 煮付けにも箸をつけるが、こちらのほうは身が柔らかい上にネバネバも加わって、ぐずぐずと崩れてしまい、形のまま取り分けることすら難しく、大皿の中は混沌とした様子を呈している。味の方は、味噌汁が単にしょうゆ味に変わっただけというようなもので、特記すべきものはなかった。
 市場の親父が言った「地元でしか食べられていないというのには、それなりのわけがあるのよ」というセリフに深く同意するとともに、魚屋がたっぷりおまけしてくれるのにもそれなりのわけがあるということを、思い知った次第である。

10/19/2014


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