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辻堂端坐喫茶(10)最終回 文: 半井 肇 作者にメールを送ります
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―浜辺の歌―

  あした浜辺をさまよえば
  昔のことぞしのばるる
  風の音よ 雲のさまよ
  寄する波も貝の色も
  ・・・・・

 林古渓作詞、成田為三作曲とされるこの歌をご存知であろう。大正時代の唱歌である。この歌の世界が辻堂海岸のそれだと健太郎が知ったのは、或るとき、辻堂海岸から鵠沼海岸へと続く歩行者専用道路を歩いていたときのことである。砂地の一隅にこの歌の文句と地元辻堂の郷土史研究会による説明が出ていたのである。

 詩人林古渓の父が藤沢の羽鳥小学校(辻堂の北方はずれにあり、近郷では一番古い小学校である)の教師をしていたとき、父に連れられて見たこの地の湘南の海の印象が感動的な経験として古渓の心に残っていて、三十数年後に作詞したものだという。

 そこは、辻堂海岸の東の端に当たる場所で、通行人がまばらだったし、鵠沼の方向へ先を急いで過ぎていってしまうような地点でもあった。
 だが、昔、彼とS子と二人の幼子は、この辺りにやってきてはひっそりと彼らだけの時間を持っていたのではある。
 ひっそり、と・・・?
 そう、どういうわけであろうか、そんな心境が若い夫婦二人を支配していて、賑やかな海水浴場を避けての憩いを日常のものとしていたのである。
 自閉症? 罪人? 気難し屋の夫婦? 詩人気質? 家族独占癖? 愛? その何れでもあったかも知れない。

 その頃気がつかなかった前述の歌碑を最近になって見つけたのは、その郷土史研究会による歌碑が立てられたのがつい近年のことであるらしいので当然ではあるのだろうが、ぽつんと砂山の端に立っていたのだ。そして、それは何となく彼らの過ごした昔の雰囲気と似通っていた。
 
 この歌を作った人は、もうこの世にはいない。そして、それを眺めている彼や相棒の消息もやがては消えていく。この歌碑も或いは雨と風と砂の中で朽ちて行くかも知れない。だが、歌の世界だけは辻堂の浜辺と共に残っていくのだろう。


 ―辻の鐘―
 
 辻堂にいると、健太郎は朝六時の目覚めとともに寺で撞かれる梵鐘の音に聴き入ることが多かった。寺の鐘はずっと前、彼がそこに常住していたかれこれ四十年も前から朝六時になるとかならず鳴っていた。
 彼の家から五百米ばかり離れた松林に囲まれた寺の鐘の音だったが、和尚は一日も休まず鐘を鳴らしているらしい。他日、散歩の折に、近所で畑作業をしている人に確認すると、やはり寺の和尚が毎日自分の手で鐘をついているとのことだった。
 大変な貢献だ、と彼は思った。

 彼は、鐘をこのように毎朝打ち続ける勤行は大変なことだといまさらながら考えると同時に、何と優しい朝の目覚めの時を与えてくれるものかと感謝していた。
 鐘は、いつも、阿修羅道を去れ、阿修羅道を去れ、と伝えているようでもあるし、平和主義者ガンジーの知恵を得よ、とさとしているようでもあるのだった。
そしてまた、鐘は優しくも、お帰りなさい、お帰りなさい、と言ってくれているようでもあった。

 若い頃作った歌を思い出さないでもなかった。

  その昔別れし師あり社長あり
  鬼子の性か何の美学か

 あれは何だったのだろうか、と健太郎は思う。
 阿修羅だ、阿修羅が俺の内に入っていて、暴れていたのだ。
 つまりは、文学修行を見てくれていた先生に反逆し、訣別し、世界の貿易を楽しませてくれていた社長を仲間ともどもクーデターもどきに追い出したのだ・・・
 あれは何の美学だったのか? だが、その結果、何を得たのだ? 

 今、老いたる阿修羅の健太郎は、辻の鐘を聞きながら、自己の罪状を顧みる。

 造反有理? Yes,
but,
Something was lack・・・
Something was bad・・・

 そして、鐘の音を聞きながら、問題は(How to)だったのだ、などと思いつつ、

  辻の鐘もろもろの阿修羅の慰安場所

 などという句をひねったりしているのだった。


―変容の海― 

 あの東北における地震津波の悲劇以来、辻堂における海が健太郎に対して変容したのは確かだ。

 辻堂の海は、ずっと長い間、憧れと安息と希望と喜びを与えてくれるものとして健太郎の前に在った。海を眺めるとき、彼は怖れなど抱くことは全くと言って良いほど無かった。
 だが、あの惨状を見て以来、海は、そのふくらみ、広がり、輝きの中に不気味なものを内臓したものとしての姿を現した。

 海が内蔵するもの、いや海の素顔は、決してロマンチックな憧れを象徴するものだけではなかったのだ、というごく自然でもある認識。

 海よ、お前は俺を裏切った。いや、俺の眼が節穴だったのか?
 今、お前は俺に無言の語りかけをする・・・

《良く見ておけよ、俺の顔を。俺の顔がそんなに優しかったかい?
 それはお前の熱っぽい、夢見る眼の所為だ。俺は昔からこんな具合さ。
 気がついたかい? 俺の不気味さに。
 はっはっはっ。

 それでも、お前は俺に魅かれてやってくる・・・無力なロマンチストとして・・・俺の広大な胴体を見に来るのだ、悪魔と天使を隠し持った俺の姿を見にくるのだ》

 部屋に掛けてある大きなカレンダーの中の海と帆船も突然たゆたいだした。窓からの風が吹いたからではあるが・・・大きくゆったりと健太郎を威圧するように揺れ始めた。

 辻堂駅を挟んで、海岸側の土地値が下がって、高台側の土地の値段の方が高くなっていると近所の主婦がS子に語っていたという。従来は逆であったのだが・・・



―都市化変容の街―

 辻堂の街は気がついたとき変わっていた。
 以前は、辻堂は、健太郎にとっては、或る意味で脱世間の場であり、避難場所であった。砂地、松林、細い道、小さな商店の並び。数少ない日常的スーパーショップ。そして喜びはむしろそんなささやかな、若干辺鄙な、不便な生活の世界でもあったのだ。

 しかし、都市化の波はあっと言う間に街を変貌させた。ここは、湘南有数のベッドタウンになっていたのだ。もちろん、健太郎が四十年以上前に其処に住み始めたときも、東京への通勤者としてのライフスタイルが基調にあったのではあるが、今や、駅前には湘南切っての巨大なモールまでできてしまった。
 辻堂は湘南銀座となりにけり、とでも言えそうな来客数で、それは、辻堂はその名の由来を失くしけり・・・・ということでもあり、三夕流にいえば、

  見渡せば松も砂丘もなかりけり 
  辻にビル建つ秋の夕暮れ
 
  こころなき身にもあはれは知られけり 
  爆音空ゆく秋の夕暮れ 

  さびしさはその街としもなかりけり 
  車渋滞秋の夕暮れ

ということにもなろうか。            

 しかし、そんな嘆きや苛立たしさとは裏腹に大きなモールの出現を喜ぶ日常生活の楽しみを健太郎が感じていないとはいえまい。
 美味な料理を提供する数多くの店や豊富な日常食品を揃えるマーケット、そしてスターバックスなどの簡易なカフェなど。或いは湘南テラスと銘打ったこのモールの名の由来ともいえよう見晴らしの効く野外のテラスなどがあり、海岸での時間を除いてはついつい無聊になりがちなこの地での時間の空白を埋める存在としての価値を彼はモールに覚えていないでもないのである。

 静かだった辻の庵よ、砂地だった細い散歩道よ、なつかしのサンクチュアリよ、夢想者よ、老阿修羅よ、
Quo Va Dis・・・

 或る夕べ、湘南テラスに夕食のものを買いにいった彼は、テラスの横広場と二、三階のテラスを埋め尽くす観衆に出くわし驚愕をした。その数と群集の発する叫び声に。
 それは、昔、五十年以上前の学生時代に、彼がデモに加わり、安保反対の声を叫んだ時の雰囲気と声に似て、しかし、非なるものであった。
 彼らは、舞台に出てくるカワイ子ちゃんたちのグループの挨拶と歌に共鳴して叫んでいるのだった。ウオー、パチパチ、老いも若きも・・・
 カワイ子ちゃんたちのライブを囲んだ饗宴。

 先日、原発反対のデモに千駄ヶ谷の神宮競技場の近くに行ったとき、多くの群集を見て、心強く思ったが、さにあらず、大半はその日行われるサッカーの試合のための人々だったのだ。

 芸能人とスポーツ人と、そして奇妙なキャラクターとやらのマスコットに熱狂する国民が多数を占める日本だ。

 日本よ、政治に無関心な若者たちよ、大地を忘れた宇宙人たちよ、スマートホン人種よ・・・
Quo Va Dis・・・
                      (完)

10/13/2014


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